文化と歴史を大切にする活動(協同組合会津復古会)〜会津若松取材報告その3〜
皆さん、こんにちは。
会津若松取材報告の3回目ですね。今回は、町並み保存の取り組みを30年も前から実施されている、協同組合会津復古会の五十嵐大祐さんにお話をお伺いしました。古き良きものを地域の中のどのように残していくべきなのか、という点は、我々の映画の中にも取り入れて行きたいと感じました!
◇文化と歴史を大切にする活動(協同組合会津復古会の五十嵐大祐さん)
会津復古会は、昭和46年創設の、昔ながらの商人道を守る老舗の集団です(理事長:五十嵐大祐さん)。
五十嵐さんは、会津復古会の理事長、あるいはNPO全国町並み保存連盟顧問(元会長)として、これまでに30年以上に渡ってまちづくりに積極的に取り組んでこられた方です。その活動は、会津若松にとどまらず、新潟)村上市、北海道)小樽、函館等、日本全国に渡ってます!
※新潟)村上市のまちづくりについても、五十嵐さんが現地の吉川真嗣さん(「町屋と人形さまの町おこし」を手がけられた方で、観光カリスマに認定されてます)に助言したことがきっかけでスタートした、という経緯があります。云わば、吉川さんのお師匠さんということになりますね。実は今回、僕達は吉川さんのご紹介で五十嵐さんを訪問した、という! 今度、吉川さんの取り組みについても当ブログで紹介しますね!
なお、五十嵐さんの本職はお菓子屋さんです。会津藩御用の茶問屋の系譜を持つ上菓子司会津葵の創業者で、餡入りカステラ「かすてあん会津葵」や高麗人参とマタタビのエキスを合わせた健康食品「JIDOVA」などを考案し、運輸大臣賞、農林水産大臣賞等、数々の賞を受賞してらっしゃいます。気になった方は下記サイトをチェックして下さい。特に、「JIDOVA」にチャレンジしてみて下さい。長生きの秘訣がここに隠されているかもしれない...。
五十嵐さんが一環して主張してらっしゃるのは、”「道路を広げて近代的なまちづくりを」ではなく「昔の町並み、建物を保存し、活かす形でのまちづくりを」”ということです。一見、「古いものだけが良いのだ」と主張されているようにも取られがちだと思うのですが、そうではないのです。循環型の社会モデルの復古(温故知新ではない、とのこと)が重要なのだ、という主張なのですね。新しい良い物は無論取り入れるという。単に主張するだけでなく、実行する意思を持って取り組まれているのが大きなポイントです。30年前から町並み保存の活動をスタートされていて(バブルだ何だという話の全然前の話ですよ!先見性ありますよね)、ご自分のお店を含む10店舗の店構えの改修(昔の店構えに)を実施。当初からメディアの反響が良く、「non-no」の取材なども受けたそうです。
ちなみに五十嵐さんは御年86歳(!)とのことですが、実にかくしゃくとされていて、「会津若松商人の気骨」が全身からにじみ出ていらっしゃいます。
その気骨を示すエピソードを一つ。当日の取材、鶴ヶ城のお堀沿いの風情ある小民家の2階で行わせて頂いたのですが。なんとこの小民家、明治時代にこの場所に移築されたものらしいのですが(いつ建築されたんだか?)、取り壊しの危機にあったところを五十嵐さんが買い取ったとのこと!
「古きよきもの」ということでは、”会津若松の民芸”へのこだわりについてもお話頂きました。以前より、民芸活動家「柳宗悦(やなぎむねよし)」氏に傾倒し、日本の民芸振興活動にも携わっていらっしゃるとのこと。オリジナルの会津漆や唐人凧を製造している会津復古会メンバーもいらっしゃいます。
そうそう、今回会津若松を訪問して分かったんですが、「起き上がり小法師」「あかべこ」って、会津若松の民芸品なんですね!不思議と今まで生産地を意識することがなかったという...。とにかく、歴史を感じさせるこれら民芸品の発祥地だったんですねぇ(会津若松の皆さん、すいません!)。
脱線しますが、最近メディアを賑わした、”渡部恒三代議士(会津若松ご出身です)が前原誠司民主党代表(当時)にプレゼントした「起き上がり小法師」が起き上がらなくて...”という例の件、皆さんまだご記憶にあるのでは? あの時「起き上がり小法師」がドッとメディアに登場しましたよねぇ。そう言えば「あかべこ」も、子供の頃居間に飾ってあったのを思い出しました。
話を戻しますが、五十嵐さんの凄いところは、単に会津とか日本のレベルを超え、その源流たるシルクロードにまで視野を広げているところです。シルクロードから正倉院につながるアジア地域(エジプトまで含む)の歴史的な考古物を収集されていて、それを「シルクロード文明館」に陳列しているんですね。皆さんもし会津若松行かれる際には、鶴ヶ城入り口近くにある同館に足をお運び下さい。博物館と喫茶店を兼ねた面白いお店です。しつこいですが、「JIDOVA」をお試し下さい、是非。五十嵐さんの元気さを見れば、飲んでみようと思うはずです!
また、皆さんご存じでしたか?会津若松は、野口英世が青春時代をすごした町なんです!彼はこの町で医学への道を志し、世界に羽ばたいていく訳です。その後、黄熱病の研究のためアンデス山脈に足を運び、ついには偉大な研究成果を発表するにいたる訳ですが、五十嵐さんはいずれ彼の足跡を追ってアンデス山脈に行く!と仰ってました。是非実現して欲しいですね。
もう1点、五十嵐さんの商人哲学を。「ならぬことはなりませぬ」「士魂商才」「真善美(人間が生きていくうえで大事な3つの要素)」を追求実践し、古き良きものを残して、後世に伝えていきたいとのこと。
皆さん、会津藩藩校「日新館」の「什の掟」ってご存じですか?「日新館」には7項目の掟が掲げられていて、昔はこれを10歳までのうちに叩き込んだらしいのです。
1. 年長者の言うことにそむいてはならない
2. 年長者には御辞儀をしなければならない
3. 虚言をいう事はならない
4. 卑怯な振舞をしてはならない
5. 弱い者をいぢめてはならない
6. 戸外で物を食べてはならない
7. 戸外で婦人と言葉を交へてはならない
「ならぬことはならぬものです」
要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っているらしんですね。日新館と言えば当時、水戸の弘道館、萩の明倫館等と並んで、最先端の藩校です。ここで、この価値観を子供の頃から問答無用で押し込んだ訳です。五十嵐さんはこの言葉を重視しており、会津葵本店の横には「ならぬことはなりませぬ」と書かれた標識がたってました。
※写真右側が、五十嵐さんです。お若い!
価値観を押し込むことに対しては賛否両論あると思うんですが、倫理観育てるためには必要なのかもしれません。日進館の教えを現代に、なんていかがです?
またまた脱線ですが。さるITベンチャー(ちょっと前問題起こして騒動になった)グループが、一時日新館を買いに来ていたとのこと!日本の魂を渡さなくてよかったですねー。
最後に長州との交流について。以前長州サイドから仲直りの打診があったが、「まだ明治維新から120年しか経過していない。仲直りはまだできない」と断ったとのこと(交流はしましょう、となったらしいですが)。五十嵐さんの年代からすると、子供の頃まで実際に戊辰戦争を体験した世代がまだ生きてらっしゃった訳なので、ほんの少し前の出来事、という意識になるのもある程度しかたないかな、とも思うんですが、そろそろ本格的に仲直りしてはどうか、と思うのです。皆さんはいかがお考えですか?
※長州藩では、元旦祝賀の儀礼の場で、家臣が「今年は徳川を討ちますか?」と問い君主が「いや、今年は見合わせておこう」と答える『獅子の廊下の儀』を260年間続けていたらしいんですが、これを引き合いに、「まだまだ」ということのようですね。
以上、長くなってしまいましたが、今回の会津若松取材報告とさせて頂きます。
まちづくりには色んなやり方があると思うんですが、「会津若松の伝統を次世代に引き継いでいく」ことと、「外部と積極的に交流する」ことの両輪が重要、という点では皆さん意見一致しています。過去と現在(未来)、東京と地域、それぞれ”つながっていく”ことが重要なんですね。
我々の映画の中でも、時間軸と空間軸については意識して行きたいと感じました。
皆さん、上記に出てきた幾つかのキーワードについて、是非感想あるいはご意見を頂戴したいと思っております。そこから色んなところに”つながって”行ければなぁ、などとも思っておりますので、是非ともよろしくお願いします。お待ちしております!
ではでは。
▼次の記事へ進む:
まちづくりと映画づくりの手法の一致〜ファシリテーション »
▽前の記事へ戻る:
« 地方都市を盛り上げる取り組み(七日町通り) 〜会津若松取材報告その2〜
□トップページへ戻る:
HOME






