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全国コミュニティシネマ会議(主催:コミュニティシネマ支援センター、 財団法人国際文化交流推進協会、東京国立近代美術館フィルムセンター/支援:文化庁)は、様々な場で“映画
を見せること”を行っている人々の情報交換と研究討議の場として、1996年から毎年開催されています。主に映画祭関係者、公共ホール・美術館・図書館の映像担当者、自治体の文化事業担当者、シネクラブの主催者、ミニシアターを中心とした興行関係者、自主
上映団体、独立系配給会社等々が集まります。
日本の映画ビジネスの中で大手配給作品やシネコンに注目が集まりながらも地域格差などの問題も懸念されるなか、改めてコミュニティシネマが注目されている事もあり、過去最高となる約300人の参加者が集まりました。そんな熱い熱気の中で、このプロジェクトの実現に向けて具体的な提案発表されました。
みなさん、こんにちは、にっぽんプロデュース高木です。今日、74年ぶりに日本の最高気温が40.9度と更新されました。暑い日々が続いておりますが、体調崩されないように。
さて、先日映画の取材を兼ねて新潟へ行って参りました。特に印象深い風景に出会いました。新潟・高柳の荻の島集落です。ここは国道の横道から少し上がったところに一気に開ける集落なのです。かやぶきの家は、このエリアにはまだまだたくさん残っているのですが、新旧入り混じった中にかやぶきの家がぽつぽつ存在するのとは全く異なり、集落のほとんどがかやぶきの家。まるでその風景は、タイムスリップしたよう。ここに日本の原風景がありました!
皆さん、こんにちは。
会津若松取材報告の3回目ですね。今回は、町並み保存の取り組みを30年も前から実施されている、協同組合会津復古会の五十嵐大祐さんにお話をお伺いしました。古き良きものを地域の中のどのように残していくべきなのか、という点は、我々の映画の中にも取り入れて行きたいと感じました!
◇文化と歴史を大切にする活動(協同組合会津復古会の五十嵐大祐さん)
会津復古会は、昭和46年創設の、昔ながらの商人道を守る老舗の集団です(理事長:五十嵐大祐さん)。
五十嵐さんは、会津復古会の理事長、あるいはNPO全国町並み保存連盟顧問(元会長)として、これまでに30年以上に渡ってまちづくりに積極的に取り組んでこられた方です。その活動は、会津若松にとどまらず、新潟)村上市、北海道)小樽、函館等、日本全国に渡ってます!
※新潟)村上市のまちづくりについても、五十嵐さんが現地の吉川真嗣さん(「町屋と人形さまの町おこし」を手がけられた方で、観光カリスマに認定されてます)に助言したことがきっかけでスタートした、という経緯があります。云わば、吉川さんのお師匠さんということになりますね。実は今回、僕達は吉川さんのご紹介で五十嵐さんを訪問した、という! 今度、吉川さんの取り組みについても当ブログで紹介しますね!
なお、五十嵐さんの本職はお菓子屋さんです。会津藩御用の茶問屋の系譜を持つ上菓子司会津葵の創業者で、餡入りカステラ「かすてあん会津葵」や高麗人参とマタタビのエキスを合わせた健康食品「JIDOVA」などを考案し、運輸大臣賞、農林水産大臣賞等、数々の賞を受賞してらっしゃいます。気になった方は下記サイトをチェックして下さい。特に、「JIDOVA」にチャレンジしてみて下さい。長生きの秘訣がここに隠されているかもしれない...。
皆さん、こんにちは。
会津若松取材報告の2回目は、七日町通りの取り組みを取り上げます。
最近、地域格差の問題が話題になってますよね。我々の映画の中でもその辺をきちんと取り上げたいと思っており、そういう意味でも非常に参考になりました。
◇地方都市を盛り上げる取り組み(七日町通り 渋川問屋の渋川恵男さん)
渋川問屋とは、明治時代、会津一の海産物問屋の店舗や屋敷、商品蔵などをそっくり利用した宿泊施設で本格的な郷土料理店。主人の渋川恵男(しぶかわともお)氏は、「七日町どおり街並協議会」を組織した人物で、観光カリスマにも認定されていらっしゃいます。
七日町通りは、由緒あるお寺「阿弥陀堂」の参道であること、鉄道駅(七日町駅)が近くにあったこと等により、地域で一番栄えた通りであったそうな。渋川さんが子供の頃は、毎日地元の人で溢れかえっていたらしいんですね。渋川さんにとって、それが”原風景”という訳です。ところが車社会になって以降、その栄華も一変。1980年代にはすっかり衰退し、人っ子一人歩いていない、所謂シャッター街へと姿を変えてしまっていたとのこと。渋川さんは当時東京でビジネス(学生ベンチャー)していたらしいのですが、帰ってきてあまりの変貌ぶりにびっくりしたそうです。
※今でも時折、栄えていた当時の夢を見るそうです。”もう一度あの頃のようにしたい!”というのは強いモチベーションになりますよね。