映画「降りてゆく生き方」
第二次大戦後、私たちは、ひたすらに右肩上がりの経済成長と物質的豊かさ、そして個人的自由を求め続けてきました。そしてその努力は結実し、私たちはかつてないほど、豊かで便利で自由な社会を実現しました。私たちはみな、しあわせになるはずでした。
しかし、そこにあったのは、幸福に満ち溢れた世界ではなく、暗雲が立ち込めるが如く不安に満ちた社会でした。
世界的な金融恐慌、かつてあり得なかった凶悪犯罪や少年犯罪の増加、数々の偽装問題、年間3万人を超える自殺、派遣切り、うつ病の激増、格差社会・・・現代の日本人の抱える不安は数知れません。いったい、私たちは、これからどのように生きていったらよいのだろうか?どうやったら不安から脱し、明るい未来への希望を取り戻せるのだろうか?
そんな現代人の根源的な疑問や不安を問うべく産み出されたのが映画「降りてゆく生き方」なのです。

 降りてゆく生き方:コンセプト
徹底した取材と膨大なリサーチがベースとなり「共同脚本方式」によりつくられた「完全オリジナル脚本」
本映画は、近年の日本映画では数少ない「完全オリジナル脚本」に基づいて制作されています。
約3年の歳月を費やして、日本が抱える社会問題を多角的な側面から膨大な資料をもとに調べるとともに、北は北海道、南は沖縄、さらにはアメリカまで、実際にまちづくり、地域づくり、農業、酒づくり、社会活動などを行っている個人、団体、企業などに対して、長期間の取材を行いました。
取材人数は200人を超え、リサーチした書籍の数を300冊を超えました。
そういった徹底した取材と膨大なリサーチによって、社会と日本人のリアルな姿と問題点に迫り、且つ、複数名の脚本家の競作による「共同脚本方式」によって、本映画の脚本はつくられたのでした。

 夢縁ムービー(ダイジェスト映像)  降りてゆく生き方のつくりかた
脚本と映画制作に影響を与えた「地域参加型のオーディション」
まちづくりを中心に「自然/共生/希望」が重要なテーマとなる本作において、私たちは、映画出演募集を一種の「祭り」と捉え、日本映画史上初の試みとなる前代未聞のオーディションを実施しました。
オーディション自体の企画/運営/実施を、本作に賛同頂いたボランティア・スタッフを中心に行い、行政、各種団体などの協力も得て、新潟県内7ヶ所で開催しました。
オーディション受験者は、生後8ヶ月から92才まで、老若男女、そして国籍を問わず、約2000名もの応募がありました。
このオーディションは、その情熱に満ち溢れ、数々のエピソードやドラマを生み出し、遂には本作の脚本開発や映画制作の方向性に対して大きな影響を与えたのでした。

 奇跡のオーディション
まちづくりの達人:「清水義晴」氏との運命的な出会い
制作スタッフは、脚本開発の為に全国で具体的なまちづくりの現状と事例、それに関わった多くの方々への長期的な取材を通して、「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」(太郎次郎社)という書籍にたどりつきます。
それは、まちづくりの達人として有名な清水義晴氏(元:博進堂代表取締役社長、現:えにし屋代表)との私たちとの出会いへと誘うものでした。
新潟県での長年まちづくり活動にとどまらず、学校や教育、福祉や介護や医療、自然保護活動、企業活動などを包含したより広い分野における事業プロデュースを行い、飛躍的な成果を数多く残す一方、精神障害者の自立支援施設である北海道・浦河の「べてるの家」を全国へ伝えた事でも話題となりました。
その他にも、本人の著書にも一部書かれているように、2002年には新潟市長選挙の選対本部長をつとめ、まちづくりの手法をとりいれた「仲間づくりの選挙」を実践し、篠田昭氏を見事当選へと導く快挙を達成しています。
近年、清水義晴氏は脳内出血で倒れ、車椅子での生活を送っています。しかし、家族、地域、そしてこれまで一緒にまちづくりに取り組んできた世代を越えた全国の方々の支えと、情熱によって、元気を取り戻しました。
そして清水義晴氏は、「新潟を日本一の福祉都市へしたい」と熱く語っています。
苦境にも果敢に立ち向かい、自ら「降りてゆく生き方」を実践する清水義晴氏を、私たちはエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、本映画をより深め、本質に根ざしたものとすることができたのでした。

 夢縁ムービー(ダイジェスト映像Part-1)

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